ゆとろぐ。

1991年生まれのゆとり世代の雑記ブログ。

石黒圭『語彙力を鍛える』を読んで、言葉について考えた。

 『語彙力を鍛える 量と質を高めるトレーニング』

語彙力を鍛える 量と質を高めるトレーニング (光文社新書)

語彙力を鍛える 量と質を高めるトレーニング (光文社新書)

 

しかし、語彙力のある人というのは、ただ単に「知っている言葉の数が多い人」ではない。「文脈に合わせて適切な語を選択する力を持った人」なのである。 (内容紹介より)

 題名に惹かれて手に取りました。読んで理解できる、という意味での語彙力はなくもないはずだと自負しているのですが、自由自在に使いこなせる、という意味での語彙力は貧弱の極みなもので、是非とも鍛えたい!

 著者は、国立国語研究所研究系日本語教育研究領域代表・教授をされている石黒圭氏です。ちなみに大阪生まれだそうです。本の中身は標準語です。

 内容としては三章立てです。

 第一章「語彙についての基礎知識」では、そもそも語彙とは何ぞや? という定義付けの話があります。

 第二章「語彙の「量」を増やす」では、言葉と言葉同士を関連付けることにより、効率良く語彙の量を増やすことを目的として、類義語・対義語、上位語・下位語、話し言葉・書き言葉などなど、様々な語彙体系についての紹介があります。

 第三章「語彙の「質」を高める」では、いつどのような場面でも、精度の高い語彙活用ができるようになることを目的として、誤用や誤解を生みやすい表現を避けるための方策、あるいは、よりふさわしい表現を選び出すための方策について触れています。

 読み終わった瞬間に語彙が爆発的に増える! ということはありません。が、必要な語彙を増やし適切に活用するためのものさしとして活躍してくれる本です。言葉が好きな人、言葉の勉強をしたい人、「文脈に合わせて適切な語を選択する力」を養いたい人にはとてもおすすめです。

面白がっている人のアウトプットは面白い。

 個人的には、新書の中ではクリーンヒットの面白さでした。

 読み終わった後、はて何で面白かったんだろうか、と考えてみたところ、一番の理由は著者の石黒氏が、言葉が好きで言葉を面白がっているのが伝わってきて、それがうつってくるからじゃないかな、と。

 語彙の定義付けやか種別やら用法やらを解説している本なので、内容としては堅苦しいはずなんです。でも、語り口が全然堅苦しくないです。きちんとわかりやすく説明してくれているのですが、それだけじゃなくて、「ほらこれ面白いでしょ」「これもちょっと不思議でしょ」と次々楽しそうに紹介してくれている感じで、とても柔らかいです。

 さらには、「リケジョに続け”ドボジョ”国交省が五年で倍増方針」というテレビ朝日のニュースを見たときに、「ドボジョ」という語に初めて出会いました。「ドボジョ」が片仮名で書かれていたにもかかわらず、意味がすぐに理解できたのは、「リケジョに続け」という表現が直前にあったからです。「リケジョ」が理系女子であることは知っていましたので、「ドボジョ」は土木女子のことだろうと思ったわけです。しかも、直後に「国交省」があり、その前身が建設省であることを考えると、これは間違いないだろうと思いました。これは、文脈を生かした類推の例です。 (本文より引用)

  インターネットを見ていると、対義語をつぶやいている人の数に驚かされます。

「『赤の他人』の対義語って『白い恋人』?」
「『鳥貴族』ってもしかして『魚民』の対義語だったのか」
「『天使のブラ』の反対って『鬼のパンツ』ですかね」
「『黙れ小僧!』の対義語は『何か言えジジイ!』かな」

 などを見ていると、笑いが止まりません。 (本文より引用)

 本文から二箇所引用しましたが、こういう文章を読むと、この人、言葉を凄く面白がっているんだなー、と感じます。釣られて笑ってしまいます。

 好きだから、一日中考えてしまうんでしょうね。すると、誰もが日常で見聞きしているようなところで、ふと立ち止まって専門的に分析してしまう。

 結果として、誰もが共感するような日常的な例が至るところに散りばめられた、面白い新書ができあがる、というわけなのかな、と。

言葉について考える。

 無理な背伸びをせず、文脈に合った言葉を選ぶだけでよい。変に着飾らず、シンプルな言葉を選ぶだけでよい。言葉の形を強く意識させることを目指すのは素人の発想であり、言葉の形を意識させずに内容がすっと頭に入ってくる言葉選びを目指すのがプロの発想です。

 ところが、この単純で、当たり前のことが難しいのです。 (あとがきより引用) 

 あとがきでは、強すぎる言葉の溢れる現代社会に対する著者の憂慮について書かれています。言葉は、相手に伝えること・伝わることが本質だから、奇をてらう必要はなく、「ごくふつうの地味な言葉で十分」というのが、著者からのメッセージでした。

 確かに最近は、印象的な言葉、インパクトのある言葉、誤解を恐れないような強い言葉が溢れている気がします。

 ネット上でのSEO対策用の、目立つキーワードをぎゅっと詰め込んで作られたタイトルが、ついには書店のあちらこちらの棚まで埋め尽くして飽和状態です。

 記事や本の中身もそうで、たったひとつの結論を強い言葉でめいっぱい武装させて、読んでいる相手に信じ込ませようとするようなものが多くなってきているのではないでしょうか。

 これがまた、誤解をまねきかねないような強い表現は、共感できない側の人間にも、どうにも反論したい気持ちを起こさせるからやっかいです。何でもかんでも炎上商法というわけではないのでしょうが、やはり反感を覚えるからこそかえって否定的なコメントの対象になり、話題になることもあるでしょう。

 よく配慮されてすっと入ってくる、本当にその通りだな、好きだな、と心から思えるものは、気軽なアウトプットの対象にはなりにくいものです。丁寧につくられたものには丁寧なアウトプットをしたくなるからです。誤解されないように注意深くつくられたものに、自分の感想ひとつで妙な傷をつけたくないものです。取り扱いも繊細に慎重になります。

 嫌いなものならぞんざいに扱ってもいいか、と拙速なアウトプットの対象になりえますが、好きなものなら巧遅であろうとしてしまうのが人情というものです。

 いかに嫌いかを語る方が気軽で易しくて、いかに好きかを語る方が腰が重くて難しいとは、なかなかうまくいきませんね。

 でも、どうせ言葉を尽くすなら、好きなものを紹介するのに尽くしたいと思います。

 思うところの多い本でした。おすすめなので興味がわけば是非読んでみて下さい。

 おわり。